ヘルマン・ブール



ヘルマン・ブール(Hermann Buhl 1924年9月21日生)
 [オーストリア・登山家]


 オーストリアチロル地方インスブルック生まれ。天才クライマーと呼ばれ、1953年、それまでドイツ隊が何度も挑み多くの遭難者を出したことから「人喰い山」「魔の山」と呼ばれたナンガ・パルバットの初登頂を無酸素で成し遂げた。第5キャンプ(6850m)からは単独で登り、証拠として脱落していった仲間から託されたピッケルを山頂に残した。この時ベースキャンプに戻ったブールの顔はその死闘からまるで老人のようになっていたという。この年はエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがエベレスト初登頂を果たして話題をさらわれたが、それに対して「世界の山は数年後に、自分の足もとにあるさ」と笑顔でコメントしている。

 その後も数々の高山を制覇し続けたが、4年後、ブロード・ピーク初登頂を成し遂げるも、隣のチョゴリザ峰を登山している最中に雪庇を踏み抜いて雪崩に巻き込まれ帰らぬ人となった。

 生前、ブールが日本人と登山を行う事は無かったが、彼の死後、ブールの遺品の多くを日本隊が発見している。1958年にチョゴリザに初登頂した日本隊は、前年に死亡したブールが麓に残したテントを発見・回収し、故国のオーストリアに送った。1999年には、日本人登山家の池田壮彦がナンガ・パルバットの山頂付近でピッケルを発見し、ピッケル発見の情報を受けたチロル州政府は、在日オーストリア大使館を通じて写真を入手。製造元フルプメス社で鍛冶職人らが鑑定したところ、ピッケルの刻印などから、ブールの登山隊用の特製品と確認された。

 亡夫の登頂を支えたピッケルに対面した妻のオイゲニーは「奇跡のようだ。私が手にした一番大切なもの」と感激した。なお、ピッケルを含む遺品はオーストリアの山岳博物館に収められた。

 1957年6月27日死去(享年32)





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