アーチー・スコット=ブラウン(William Archibald Scott-Brown 1927年5月13日生) [イギリス・レーシングドライバー] 母の妊娠中の風疹により、右腕は生まれつき無く、また右足にも障害を抱えていた。父はその障害を少しでも軽減させようと、自作の小さな車椅子を幼いスコット=ブラウンに贈り、そのことがレースに興味を持つきっかけとなった。 1951年、僅かな遺産で購入したMGロードスターを使用し、レースキャリアをスタート。右腕が無いというハンディを抱えていたが、そのドライビングスタイルは非常に豪快で「隻腕の名手」として知られた。名が知られるようになった頃には、既に英国のスポーツカーメーカー「リスター」との関係が出来ていた。リスターのドライバーとして、最終的に生涯71勝を挙げているが、このうち15勝は国際舞台でのものだった。 1956年には、コンノートから第6戦イギリスGPにてF1にスポット参戦(予選10位、決勝リタイヤ)。最終戦イタリアGPへの参戦も企図したが、その障害を理由に許可が下りず、結局F1参戦は1度に留まった。 1958年5月18日、ベルギーのスパ・フランコルシャンで行われたグランプリ・オートモビル・デ・スパ決勝において、高速コーナーでコースを飛び出し、樹木に激突。この際頭部に致命傷を負い、またマシンからの出火で火傷も負ってしまう。 翌5月19日、病院で死去。31歳の誕生日を迎えてから、1週間も経っていなかった。 1958年5月19日死去(享年31) <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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