泉和助



泉和助(いずみわすけ 本名:和田佐紀 1919年2月11日生)
 [コメディアン]


 佐賀県出身。青山学院大学を中退し、1933年にエノケン一座に入り「ピエル・ブリヤント」で初舞台、芝居、タップ、歌などの修行を積む。その後、藤山一郎に師事して歌を習ったのち、吉本興業に入る。1940年に召集されたが、1945年の終戦までずっと二等兵のままだった。

 戦後は自らの一座を旗揚げし、最盛期は100人近くの座員がいたという。1953年から日劇ミュージックホールでトニー谷らと活躍。1958年には、1年間ミュージックホールを休演し、本場のパリでボードビルの勉強をして来る程の、ギャグの鬼であった。NHKテレビの「お笑い娯楽館」にも出演し、「ギャグ教室」を担当。多くの後輩芸人にギャグを教え、台本も能くし「和っちゃん先生」と後輩たちから慕われたものの、自身が演じると受けず、持病の喘息もあり、芸人としてはあまり芽が出ずに終わった。

 1969年1月から、心臓病、喘息、糖尿病で入退院を繰り返す。同年9月には離婚。翌1970年2月1日、アパートで死去しているのを発見され、1月28日に死亡していたと推定された。解剖の結果、死因は持病の喘息による嘔吐物が、喉に詰まったことによる窒息死であった。通夜の席上で泉のネタ帳が奪い合いになったが、中身は妙な記号が羅列してあるだけで誰にも判読できなかった。その「玄人好み」の芸が、ミュージックホールで共演したこともある立川談志や、マイナーな芸人を好む色川武大らに愛され、泉の死後に、彼らの著書の中で大きく取り上げられた。

 1970年1月28日死去(享年50)


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