コリンヌ・リュシェール



コリンヌ・リュシェール(Corinne Luchaire 1921年2月11日生)
 [フランス・女優]


 パリで生まれる。父は政治家でジャーナリストのジャン・リュシェール。母は画家。父方の祖父は歴史家で作家、母方の祖父は画家、曽祖父は哲学者という一族の中で育つ。演劇に興味を持ち、中等教育を3年で止め、俳優兼映画監督のレイモン・ルーローから演技を学ぶ。16歳のときに父方の祖父ジュリアン・リュシェールが彼女のために書いた劇で本格的にデビュー。1938年の映画『格子なき牢獄』で世界的な注目を浴びる。その後数本の映画に主演したが、病弱だった彼女は結核に罹り、演技から遠ざかった。

 1941年に療養先のモンブランの麓の保養地ムジェーヴでフランス貴族の男性と結婚したが、同地出身のスターでスキーの世界王者エミール・アレーとの不倫関係が破綻したあとに自殺未遂事件を起こし、離婚。パリに戻った。父がドイツ占領下の新聞界において独裁的な権力者になっていたことから、その後ろ盾のもとでヴィシー政権の華やかなシンボルとして社交界で奔放な生活を送り、歌手のシャルル・トレネらと交際する。1944年5月10日にオーストリア人のドイツ空軍将校との間に娘を儲ける。

 しかし運命は暗転し、1944年8月のパリ解放の後、自殺を図ったが死にきれず、父とヴィシー政権閣僚とともにドイツ・ジグマリンゲンに移送される。その後、父と共にイタリアのメラーノに逃れるが、1945年5月に逮捕される。ヴィシー政権の亡命政府の閣僚になっていた父は1946年2月に銃殺刑となり、彼女は対独協力の罪で投獄される。1948年に釈放され、1949年に自伝を出版した。イタリアでの映画出演の話もあったが、再び結核に倒れ1950年1月に死去。

 『格子なき牢獄』は1939年に日本で公開されて大ヒットし、リュシェールは当時の青年たちの間で一躍人気を集めた。この作品は戦後も幾度となく再上映された。戦中戦後に公開された当時に彼女に夢中になった青年たちは戦後の彼女の消息を常に気にかけており、「釈放された後、アルジェリアに渡って娼館を開いて生き延びている」という噂もあったという。

 1950年1月22日死去(享年28)


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