🚋ポッポやブログ🚃

2019年12月24日(火)
【☀️(^o^ゞ 【日本の貨幣】シリーズNo.105号の「銅山至寳 当百 「文久二年」」です。】
☀️(^o^ゞ  【日本の貨幣】シリーズNo.105号の「銅山至寳 当百 「文久二年」」です。

🌟🇯🇵【日本の貨幣】シリーズのバックナンバーである、2019年9月11日発行のNo.105号のレプリカです。

レプリカの貨幣の名称は… 銅山至寳 当百 「文久二年」 です。

最初の4文字、銅山至寳の至寳は、現代の漢字に直すと「至宝」となります。

文久2年(浪曲、森の石松金毘羅代参でお馴染み、清水の次郎長と石松が生きていた時代。/金毘羅さんとは、現在の四国の金刀比羅宮の事を言う。)に、久保田藩(現在の秋田県辺り)の加護山吹分所で鋳造された地方通貨(貨幣)です。

縦に右上から下に「銅山」、隣の行も上から下に、「至寳」(宝)と読み進めます。

裏側には丸い円孔の上側から下に、「當(当)百」と読み進め、円孔の左右の二久とは、この貨幣が鋳造し発行された「文久二年」の略語となります。

銅山至寳 当百 「文久二年」 (レプリカ)は… 縦:50o×横35oで、長方形の形状をしており、真ん中には円孔があります。

江戸時代の久保田藩領内は、鉱山に恵まれた環境であり、銀や鉛の製錬所を所有していました、その製錬所は「籠山鉛吹所」や、「籠山銀吹所」と言う製錬施設で、それが後に(江戸幕府が衰退した頃)なると、銀や鉛の製錬所を改修して、久保田藩独自の貨幣鋳造所を設立しました。

「天保通宝」や、「秋田鍔銭」(あきたつばせん)などを鋳造したりしつつ、この銅山至寳 当百も鋳造したのでした。


【⚠️お断り… この画像のコレクション(貨幣のレプリカ)は、通貨としての価値は一切ありません、営利目的での「転売」は固く禁じられております、不正な転売とうで購入をされた場合には、当ホムペはその責任を一切負いません。 】


14:04
コメント(0)/トラバ(0)
[感想を書く🖋️]



<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。




w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
++新着ブログ記事++