2022年08月16日(火) 【🌟_(※^^※)ゞ 信州 善光寺の話題 (続き)山門や本堂も見事ですが仁王門もまた、迫力満点です❗️】 🌟🚅🚋 _(※^^※)ゞ 毎度 ご乗車有難うございます❗️❗️❗️ 2022年 (令和4年)はまだ8月の中盤ですが… 今現在で、筆者にとりましては『善光寺御開帳』(6善光寺同時開帳)が、今年最大のイベントだと考えております❗️ 7年に一度、長野県の信州善光寺を参拝している筆者がいつも思うのは、やはり信州善光寺は、すべてに於いて規模が違う❗️❗️ と言うことです❗️ 山門は、それはそれで立派で迫力満点ですが、仁王門もまた、迫力があるのです😃✨❗️ 🔘信濃善光寺のご本尊の「一光三尊阿弥陀如来像」は、三国渡来の絶対的秘仏とされていて、直接拝観する事が出来ない日本最古の仏像とされております。 (※鎌倉時代には源頼朝公も善光寺を参詣したと伝わる。) そのご本尊を護るように、訪れる参拝者に睨みを効かせているのが仁王門に立つ2体の仁王像です。 凄いことに2体の仁王像は、添え物などで固定されていない、その重さで自立しておられる造りの仏像です。(※像全体の均整が整っている証拠です。) 仁王像の配置は、通常とは逆側となっており、信州善光寺仁王門の左側に阿形像、右側に吽形像が立っておられます。(※共に高村光雲と米原雲海による造立と言う。) 仁王像の背後に位置(※本堂や山門の方向を向いて立っておられる仏像)するように立っておられるのは、三宝荒神(※三つのお顔をお持ちの仏像)と、三面大黒天(※大黒天、弁財天、毘沙門天が合体した姿の仏像)。 当初『信濃善光寺』の仁王門は、1752年(宝暦2年)に創建されました、しかし1847年(弘化4年)の善光寺地震の際に倒壊して焼失。 1864年(元治元年)に再建されましたが、今度は1891年(明治24年)の火災により焼失してしまいました。 🔶現在の仁王門(筆者が撮影してきた仁王門)は、1918年(大正7年)に再建されたものです。 高さは13.6メートル、間口が13メートルで、奥行は7メートルあります。 掲げられている山号の額には、善光寺の山号の“定額山”(じょうがくさん)の文字が揮毫されております。 山門の扁額は縦方向に“善光寺”の文字、仁王門の場合は、理由は解りませんが… 横方向に“定額山”(じょうがくさん)と言う山号が記されているのです❗️❗️❗️ 18:18 コメント(0)/トラバ(0) [感想を書く🖋️] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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